観劇とかいろいろ

感想考察など

劇場版呪術廻戦0の演出 血溜まりのシーン

広がる血溜まりのシーンは作中で3つあって、冒頭のいじめっ子が詰められたロッカーから血が広がり、それを乙骨は見ようともせず、ただうずくまるばかり、というシーンから始まります。

血溜まりに対して無抵抗な様子から、「死のうとしました」というセリフが入ることで、この演出はもはや彼が “生” を諦めていることを示唆します。

しかし乙骨は “死” を延期し、五条、真希に導かれ、「里香ちゃんの呪いを解く」ことを決意します。

これはつまり “出自不明” の里香を紐解くことであり、そして結局のところそれが乙骨の方がかけた想い(呪い)であるとオチるため、根源的には “出自不明” なのは乙骨であり、彼は自分自身について振り返らなければならないわけです。

 

乙骨は里香を自ら呼び出し、「一歩前進」し、先生や仲間たちに見守られながら、青春の輝きの中で “己が何者であるのか” ということを模索する、非常にシンプルでジュブナイル的物語が展開されます。呪術廻戦のホラー、オカルト的要素に目が向きがちにもなりますが、それでいて話の骨子は王道と言っていい。

乙骨は立ち上がり、そして以降の彼の成長、心の変遷、歩みは、緒方さんの素晴らしい演技によって表せられました。

 


そしてその一方で夏油一派、彼らもまた自分達の見据える新しい世界のために “前に進んでいる” とも言えます。

秘書の菅田は、金森が流した血を汚らわしい、と避け、嫌悪する様が見てとれます。

差別的な価値観を持っている人物であることを示すと同時に、これはある意味己の快不快が明瞭である、己の求るものを “よくわかっている” とも捉えられます。

 

血溜まりを避ける/避けないというシンプルな対比としては冒頭の乙骨と呼応する描写です。生きていくためには、進んでいくためには、まず、己が “何者であるのか” “何がすきで、何がきらいか” を明確にする必要があるのでしょう。

 


かくして乙骨も夏油一派も、ある意味では同じ“未来への希求”というラインにたったと言えますが、しかし両者には明確な分岐が存在します。

 


乙骨は五条に見守られ、出来る限りの輝かしい青春の日々が与えられますが、一方で夏油一派の歩む道は、“他者を自ら犠牲にしながら、己の目的を達成しようとする”ものです。血みどろの道。

夏油もまた学生時代には “己の本音” を見失い、しかし諦めず “一歩前進してしまった” 人間です。それを表すのが真希の流した血を踏んで “前進する” 夏油の描写です。

猿の血に頓着していない=嫌悪していないともとれなくはありませんが、流れ的に “積極的な攻撃性、侵略行為” と捉えた方が全体の辻褄が合う気がします。

 


自ら進んで踏み躙る血、一歩前進、そしてレッドラインを超えてしまった夏油は、乙骨と違い誰かに庇護されることはなかった存在です。

 

血の道を征く夏油と、守られ続けてきた乙骨は対比関係にあり、分岐した道を進んできたようにも見えて、それでも最後は激突します。

ラストバトルが細い一本道で繰り広げられるのも示唆的です。

 


“死” から始まりそして分岐した生の道、血の道、最後に帰ってくるおわりの道、これらの物語の変遷、クライマックスまでの牽引力は原作のシナリオからも確かに感じるものですが、“血溜まりの演出” によって更に視覚的に訴えかけるものになっていると思います。

 


劇場版の追加演出は多々あり、どれも原作をより良く引き立てていると思いますが、一番唸ったのは、小学校の任務が終わった後の追加シーン、夏油が小学校の屋上で乙骨の学生証を拾うシーンです。

のちに小学校の件も夏油の仕業であるのが発覚しますが、それを裏付けるシーンです。

そして何よりシーンの挿入位置が、乙骨が「呪術高専で里香ちゃんの呪いを解きます」と決意し、この話の目的が示された直後になるので、“では、五条が解くべき呪いは?” という語られぬ問いに対するアンサーでもあります。

乙骨・里香の関係が描かれる水面下で五条・夏油の関係があると言えますが、この接続は巧い。むしろなんで原作にないんだ?とも思えるファインプレーだと思います。構成的に妥当。闇の中のシルエットであるのも、黒幕としてのミステリアスさと両立していていい。一挙両得どころか三得ぐらいある効果的な演出です。

 

懐玉・玉折からの追加シーンに椅子の演出があって、椅子って端的に “居場所” のメタファーとしてよく使われる小道具でもあり、呪術廻戦においても野薔薇の回想にその意味で使われてるんで非常にアリなんですけど、私はあの辺のシーンで心にショックが与えられるのか、あまりちゃんと観察出来ていないんですよね。でもしょうがなくないですか?だってあんな…あんないっぱい過去編からの引用があるとは思ってなかったから…ナニモワカンナイ…

憂国のモリアーティ#31『一人の学生』がめちゃめちゃよかった話

 

 

ミュージカル 憂国のモリアーティ、最高に面白かったですね。原作漫画が面白いのはもちろんのこと、憂国のモリアーティをひとつのコンテンツとしてみたときに私が好きだと思えるのは、小説なりミュージカルなりにメディアミックスされたときに、そのメディアなりに何をすべきか、何ができるのかをちゃんと考えて、原作漫画の世界をより豊かに広げてくれていると感じられるところなんですよね。舞台化も決まっていることだし(続報まだ?)、このままアニメ化も頼むぞ…っ‼︎

 

そして何よりミュージカル 憂国のモリアーティを観劇して良かったと思えたのは、漫画 憂国のモリアーティをより一層好きになれたことです。いい話みたいじゃん…(いい話でしょ)さらに原案であるシャーロックホームズシリーズに対しても更に愛が深まったんだな…

 

コミックス既刊までで私が特に悶え苦しんだのは、最新8巻収録の#31『一人の学生』です。

 

※以下本編ネタバレだよ

 

 

 

 

 

 


ウィリアムとシャーロックはノアティック号で初めて邂逅し、列車での再会を経て、シャーロックはダラム大学までウィリアムに会いに行くわけですけど(早起きじゃん)、そこで “犯罪卿について” 、そして “シャーロックの選択” についての問答をします。

前に二度、二人は会っているわけですが、豪華で立派な船や列車の中で、血みどろの殺人がおこる物々しい雰囲気もいかにもミステリらしく蠱惑的で、舞台が移動する箱の上であることも相まって、どこか動的なスリリングさもあります。

一方で、『一人の学生』の舞台であるダラム大学は、11世紀に建てられたダラム城ダラム大聖堂を有する大学都市に存在し、その重厚で威風堂々とした建物がそびえる中で、ただ噴水とその水飛沫だけが時の流れを静かに感じさせてくれる、清涼な良い雰囲気です。紙面から鳥のさえずりが聞こえる…(幻聴)イギリス旅行するならダラムもプランにいれないとな。

 


このお話は特に眩い光と淡い影のコントラストも美しくて、「俺は奴を捕らえ断罪し、その犯罪の責任を取らせるつもりだ」と言うシャーロックには光が差しますが、対するウィリアムには逆光でうっすらと影が落ちています。透過する光がウィリアムの輪郭と細かな水飛沫を繊細に浮かび上がらせ、彼の背景の解像度がやや高いようにも見えます。一方でシャーロックの背景は強い光で白飛びしているように見えます。この絵としての対比から彼らの性格も伺えるような気がします。

 

僕はこれまで一人一人を救う犯罪をやってきた(#10バスカヴィル家の狩り第一幕)

 

もしここに兄さんがいたら『全員助けよう』と言ったはずですから(#11バスカヴィル家の狩り第二幕)

 

彼は人を信じすぎる、だがそれは必ずしも悪い事じゃない(#16二人の探偵第二幕)

 

シャーリーの推理は多少決め付けすぎるきらいがありますがね(#17大英帝国の醜聞第一幕)

 


闇に彷徨う人を照らす、月の光のようにやさしいウィリアムと、まっすぐで大胆、太陽のように痛烈なシャーロックが、見開きで向かい合うように描かれ印象的です。

太陽と月、オタクが好きなやつ(断言)(決め付けすぎるきらいがあるので…)

 


ここで強調される噴水の音も印象的なんですけど、これはまさか…ライヘンバッハの滝の…⁉︎(全部伏線だと解釈する)

 


シャーロックの言葉の後に、ウィリアムの手元の答案用紙のコマが映りますが、これは最初の「Did I pass your test?」からの流れで、シャーロックに対するウィリアムの返答を反映しているようですね。しかしシャーロックの「この命を捨てたって全然構わないんだがな」に対してはペンは止まってしまいます。しかしウィリアムはシャーロックの言葉を肯定し、微笑みます。やり方は違えど目的に命を賭ける覚悟を持っているところは同じ二人である故に、「きっと適いますよ」という言葉はウィリアム自身にとっても祈りのようなものなのかもしれません。予鈴の鐘もまるで二人の意思を祝福しているかのように思えます。

今気づいたんですけど、ここで鳴る鐘はあくまでも予鈴ではあるんですが、近くに大聖堂もある訳ですし、教会の鐘と見做してもいいわけで(いいのか?)、更にそこから連想されるのは「彼は神の目の前で正しく悪の道を説いていた」のセリフじゃん…(そうか?)(飛躍では?)

幼き日にたてた誓いを、何も変わらずにまだ抱いていてそこに偽りなどないのだろうし、同じ覚悟を持つシャーロックにも祝福を与えているようで…え…神なの…⁇(悪魔だよ)

この問答をシャーロックは “相談” としているんですけど、自死を含めた覚悟を語るその姿は罪深く “告解” めいてきてしまうし、それを受け止めるウィリアムはまさしく “悪徳” の救世主足り得る…そんなに美しく微笑まないでくれ…‼︎(うそ)(もっと笑って)(顔がいい)

 


しかしここでのウィリアムの返答は、一枚の答案用紙をめぐる一件を経て覆されることとなります。

 


ウィリアムとシャーロックの二人は無記名の答案用紙の主と対面しますが、その青年は「数学を…学びたいって思っていても僕の気持ちなんか関係ない…叶う事なんてない…!」と言います。

ウィリアムのセリフにある「きっと “適い” ますよ」と青年の「 “叶う” ことなんてない」というセリフは対照的で、二人の価値観の違いが見て取れます。 “適う” は条件がぴったりと合うこと、ウィリアムはシャーロックのことを現実的に評価している、本当にやってくれると信じているのでしょう。しかし青年は自分の可能性をまるで夢物語のように捉えているようです。

 


小惑星の力学を “代数を物理学に応用する研究” 、としているところも興味深いです。純粋数学というものを高度に抽象化された数学独特の世界での理論とするならば、それは “夢” あるいは “理想” のようなもので、反対に物理学が “現実” を象徴とするものならば、ウィリアムは数学者としても、理想を現実にしようとしているともみれます。

 


ウィリアムとシャーロックは青年に自由な道に踏み出せるように背中を押します。それはとても正しく素敵なことだと思うけれど、同時に、特にこの時代において自由を求めることの過酷さを思うととても残酷なことでもあるように思えます。きっと険しい道のりです。誰よりそのことを知っているであろう二人はそれでも青年に自由の素晴らしさを説きます。才能は生かすべきもの、という想いを困難を乗り越える原動力の一つにして、ウィリアムとシャーロックはここまでやってきたのだろうなぁと思います。ウィリアム、人を殺してしまうこと以外はマジで善い人だよな…(人を殺してしまうこと以外)(デカイ)

 


青年が想いを馳せる自由な世界にはただ広い空と大地が広がるばかりです。そこに花が咲き鳥が飛ぶのはきっとこれからなのだという可能性が感じられます。

ちなみにこの青年の名前はビル・ハンティングですが、ビルというのはウィリアムの短縮名だそうです。ウィリアムと同じ地平に立てるもう一人のウィリアム、ビルを指してウィリアムは “将来の共同研究者” と言いますが、果たしてウィリアムに数学者としての才能を発揮することが許された未来が待っているのだろうか、というのは疑問です。モリアーティの抹殺をゴールに据えるということはつまり犯罪卿・ジェームズモリアーティが死ぬ時に、数学者・ウィリアムジェームズモリアーティも死ぬということ。犯罪とは無関係の、本来なら生かすべき才能もろとも葬られるということは、数学者ウィリアムがこれから至るべき地平もともに葬られるということで、才能は生かすべきという信条をもつウィリアムがそれを許すのかという話なんですけど、でももう一人…見つけてしまった…

 

私と同じ立場でこの難問を考えられるのもそれを解き明かす喜びを知っているのも世界で私と君ーたった二人だけなんですよ

 


0点のシャーロックには無理でも(マジで0点だったの⁇)もう一人のウィリアムは才能を生かし至るべき地平に至れるから…ウィリアムジェームズモリアーティ、生きる理由を一つ喪失してないか…⁇これで心置きなく死ねるね(やだ)

 


ウィリアムを取り巻く人間関係はとても濃いもので、モリアーティサイドとは共犯者、シャーロックとは宿敵、この話の中では共同研究者(仮)を得ることになりました。ていうか「私と同じ立場で〜たった二人だけなんですよ」のセリフは強すぎないか…⁇さらっとクソデカ感情関係が成立しててほんとにびっくりしちゃうんですけど、この関係にもっと別の名前を私が付けるとしたら『ともだち』が相応しい気がしちゃうんですよね…。才能は生かすべき、という信条を“使命”のように捉えると『戦友』とも言える気がするんですけど、この話では学ぶ心の自由さを語っているわけで、何のために学ぶのかというと、使命というよりは “好奇心” がベースにあるんじゃないかと思うんですよね。自由な好奇心で対等な二人が同じものを見つめる、幼い子どもが共に秘密基地を作って遊ぶような、そんな無垢で怖いもの知らずの『ともだち』関係を見出してしまった…(幻覚)(でもそう描いてあるし…)(幻覚)

シャーロックが0点だったという描写はギャグだと思うんですけど、これがあえて描かれていることによって、シャーロックはウィリアムの共同研究者、ひいては『ともだち』になる資格は “0点” だ、とも解釈出来るんですよね…(深読み)(シャーロッキアンの性なんだな…)

なによりシャーロックホームズにはモリアーティ教授と同じものを見つめるのではなく、対立し、お互いを見つめ合っていてほしいじゃん‼︎‼︎(大声)

 


憂国のモリアーティのサブタイトルには英語版もあるんですけど、『一人の学生』の英サブタイは『The Adventure of the One Student』となっています。The Adventure of 〜といえばシャーロックホームズシリーズ最初の短編集のタイトルですし、たびたび各話タイトルにも使われています。

憂国のモリアーティ内でThe Adventure of 〜がサブタイに使われたのは、ボンドを加えての最初の仕事、#24モリアーティ家の使用人達The Adventure of Four Servant があります。人が死ぬことはありませんでしたが、ボンドらしく派手に華麗に立ち回りました。

『一人の学生』では大事件が起こるわけでもなければ大立ち回りもありません。それでも一人の青年が心の自由と向き合い踏み出したことは、“冒険” と呼ぶにふさわしいものであったと思います。

労働者階級の人間はあまり学校教育を受けられないようなので、ビル君もおそらく学校には行ってないんですよね? でも編入って言われると今の学校から他所の学校に移るみたいだな…(わからん)

まだ大学に編入する “前” のビル君の話なのに、タイトルはすでに『一人の学生』なんですよね。“学生” を学校に在籍してる “身分” として定義するなら不適当とも言えますが、学問を志すその “心” を指してのものだとすれば、この『一人の学生』という物語は、一人の青年が学生に “なる” 物語ではなく、ある一人の学生が探偵に “見つけられ”、“承認される”物語なのだと思います。

ビル君の被っているキャスケット帽はハンチング帽の一種らしく、労働者階級のトレードマークのようなんですが、彼はこれを自分を隠すように、目深に被っているんですよね…。しかしシャーロックに強引に肩を抱かれ、その拍子に帽子は脱げ(いいぞいいぞ)、憧れのウィリアム先生とご対面ですよ‼︎(やったー)

それでも彼の手は帽子を縋るように握りしめますが、最後にその両手は自由になるんですよね…ぼん゛どに゛よ゛がっだ…‼︎涙

 

 

 

あなたは犯罪卿を捕らえ必ず生きて還るべきだ

 


このセリフにある “還る” は、日常的にはあまり使いませんが、元の状態に戻ることを強調する場合に使うようですね。

『自然に還れ』というジャン=ジャック=ルソーの根本思想を表す言葉にも使われているようですが、このルソーの思想というのが、【人間本来の自由・幸福を奪った社会という悪を脱して、自然の無垢な状態に還れ】というものなのだそうです。(大辞林大三版より)【自然は人間を善良、自由、幸福なものとしてつくったが、社会が人間を堕落させ、奴隷とし、悲惨にした。それゆえ自然に帰らなければならない】、とも説明されています。(日本大百科全書より)

 

「神が創るこの世 人が地獄にした」

 


モリミュの表題曲『憂国のモリアーティ』の歌詞にも通じている考え方のようですが、このルソー、フランス革命にも大きな影響を与えたわけで(モニャモニャ)(手に負えないので以下略)

 


「還るべき」という言葉を “無垢にもどるべき” というニュアンスで解釈するならば、連想されるのはこのセリフ。

 

 

でもルイス…君は……君だけは穢れのない新しい世界でーー…

 

だから君には出来うる限り無垢でいて欲しかったんだ…

 


ウィリアムは#31の一件を経て、シャーロックへの共感を覚え、ルイスに向けたものによく似た眼差しを向けるようになってそして…名前で呼ぶ…のか…(クソデカ…)

 

 

 

またロンドンで会おう!リアム!

 

えぇ…喜んで!また必ずお会いしましょう

 

…シャーロック…

 

 

 

いやすごい(すごい)

だって最初「お誘いに応じた記憶は無いのですが…?」とかつれないこと言ってたじゃーん‼︎‼︎仲良くなったね…(?)

 


ダラム大での静謐な空気から一変して、列車がシャーロックを乗せて黒煙を上げながら、騒々しく帰っていくのも素敵です。むしろこちらの方が犯罪卿と探偵に相応しいこれからの “冒険” を予感させてくれます。

 


憂国のモリアーティの主人公はもちろんモリアーティ教授なんですが、ちゃんとホームズ物語の翻案として成立させてくるところがすごいんですよね。聖典を知ってるのでさらに文脈が補強されてしまうところもあると思うんですけど、いつか聖典がミスリードとして利用されたりしたらきっと私は盛大に騙されてしまう自信がある…(でも騙されたくもあるじゃん)(楽しみ…)

 

コミックスの先、本誌もチェックしてるんですけど、ついにあの男との対決のようですね。BBC制作のテレビドラマ『SHERLOCK』にも出てたけどイヤな奴だったな…笑

憂モリ版の彼も楽しみです‼︎